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日語七夕節

發布時間: 2021-01-01 06:30:26

⑴ 日語的"七夕節"怎麼說

七夕 たなばた

⑵ 有從七夕看中日文化差異的日語論文嗎

第六課 七夕
七月七日は七夕です。七夕の行事は、8世紀ごろに中國から日本へ伝えられました。日本では、この日、子供たちが紙に願いごとを書いて、竹につるします。
ところで、中國には、七夕にまつわるこんな古い話があります。
昔、ある所に、貧しい牛飼いの若者がおりました。若者は、兄の家で暮らしていましたが、ある日、家から追い出されてしまいました。
若者は、牛といっしょに暮らし始めました。そして、毎日とても丁寧に牛の世話をしてやりました。
ある時、牛がこう言いました。「明日、湖で天女たちが水浴びをします。天女の服が置いてあるから、赤い服を持って隠れていなさい。その服の持ち主が、あなたのお嫁さんになる人です。」
次の日、若者が湖へ行ってみると、牛が言ったとおり、天女たちが水浴びをしていました。若者は、言われたとおり、赤い服を持って隠れていました。
しばらくすると、天女たちが湖から上がってきました。一人の天女が、服がなくて困っていました。その時、「あなたの服なら、ここにあります。」と言って、若者が姿を現しました。
その天女の名前は、織姫と言いました。織姫は、天の神様の孫でした。
二人は、すぐに仲良くなりました。若者は織姫に、「人間の世界に殘って、わたしと結婚してください。」と言いました。
二人は、結婚して幸せに暮らし始めました。毎日が楽しくてなりませんでした。かわいい男の子と女の子も生まれました。
ある日、牛が若者に言いました。「わたしが死んだら、わたしの皮をとっておきなさい。そして、困ったことがあったら、その皮を體にかけなさい。」そう言い殘して、牛は死んでしまいました。
そのころ、天の國では、神様が織姫を探していました。織姫が人間の世界から帰って來ないので、神様はとても怒っていたのです。そして、二人がいっしょに暮らしているのを知って、連れ戻しに來ました。
神様は、織姫を連れて、天に升っていきました。その時、若者は、牛が言ったことを思い出して、牛の皮を自分の肩にかけました。皮を著たとたんに、若者の體は、天に舞い上がりました。
若者は、一生懸命追いかけました。そして、もう少しで追いつきそうになりました。けれども、神様が大きく腕を振ると、若者の目の前に、大きな天の川が現れました。若者と織姫は、天の川を挾んで、離れ離れになってしまったのです。
織姫は、悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。そして、毎日若者に會いたがっていました。神様は、そんな織姫の姿を見ると、かわいそうでなりません。そこで、年に一回、7月7日だけ、二人が會うことを許してやりました。
7月7日になると、たくさんのかささぎが天の川に橋をかけます。この橋の上で、若者と織姫は一年に一回だけ會うことができるのです。そのために、この日だけは、人間の世界からかささぎがいなくなるということです。

⑶ 「七夕快樂」用日語怎麼說怎麼寫

「七抄夕快樂」的日文為:七夕おめでとうございます 。

讀音為:他拿把他哦妹得多果雜伊嗎思。

羅馬音為:tanabara kairaku。

⑷ 七夕快樂 用日語怎麼說,用漢語音譯

七夕(たなばた)おめでとうございます。
日本的七夕跟我們的習慣不一樣,不是類似情人節,而是向星星許願的日子。

⑸ 」七夕「用日語怎麼說

"七夕"日文念"たなばた"

⑹ 七夕節用日語怎麼寫

七夕 たなばた 我也不會念

⑺ 日語的"情人節快樂" 怎麼說

情人節快樂:ハピー バレンタインデー!

是外來語,來自英語的Happy Valentine's day(情人節快樂)

聖バレンタインデー(叫聖瓦倫汀節)/情人節
sei ba ren ta i de-

PS:七夕節 たなばた ta na ba ta

⑻ 我想和你一起過七夕 日語怎麼寫

摟主是男子;
君と一緒に七夕過ごしたい。

摟主是女子;
あなたと一緒に七夕過ごした。

雙方東可以用;
一緒に七夕過ごしたい。

日語不用主語{我},就明白講話者的意思。

⑼ 七夕情人節用日語怎麼說

「七夕情人節」翻譯日語為:」七夕のバレンタインデー「

七夕節又稱乞巧節、版七權巧節、七姐誕。

七夕節是一個以「牛郎織女」民間傳說為載體,以愛情和女性為主體的綜合性節日。七夕的「牛郎織女」來源於人們對自然天象的崇拜。在古代女子的命運只能嫁作人婦、相夫教子,因此不少女子都相信牛郎織女的傳說,並希望以織女為榜樣。所以每逢七姐誕她們都會向七姐獻祭,祈求自己能夠心靈手巧並獲得美滿的姻緣。

七夕節是世界上最早的關於愛情的節日,七夕夜晚坐看牽牛織女星、拜祭織女、祈禱姻緣、訪閨中密友、切磋女紅、乞巧祈福等是中國民間的傳統七夕習俗。

七夕節發源於中國,在部分受中華文化影響的亞洲國家如日本、朝鮮半島、越南等也有慶祝七夕的傳統。2006年5月20日七夕節被國務院列入第一批國家級非物質文化遺產名錄。

⑽ 誰能告訴我日本七夕的由來 要日語答案,謝謝啦

七夕是中國的情人節,可是在日本,卻和情人節沾不上什麼邊。和日本新年一樣,七夕可以許願,把心願寫在紙條上,然後掛在樹上。許願的內容不限,父母健康,家庭幸福,不被朝鮮的導彈炸到等等,什麼都可以。

在日本,織女不但要賜給孩子們巧手,還要負責滿足各種願望

日本七夕節主要不是用來祈禱得到愛情,而是祈求姑娘們能擁有一身好手藝。每年這個時候,大人和孩子都會聚在一起,在五顏六色的長條詩箋上寫下願望和詩歌,連同用紙做的裝飾品一起掛在自家院內的小竹子上,此外還要在院子里擺上玉米、梨等供品,以此請求織女星保佑自家女孩的書法、裁衣等手藝能有所進步。

慶典結束時,這些供品將被放到河裡順水漂走,以此象徵著自己的心願能夠到達天河。

東京迪士尼慶祝七夕節

日本的七夕節有很多活動,因地而異,主要有歌舞表演,焰火,抬轎子等等,非常熱鬧。最著名的地方是京都府的北野天滿宮、香川縣的金刀吡羅宮、神奈川縣的平冢市和富山縣的高崗市。

各地的七夕祭典

據說七夕是奈良時代從中國傳入日本的。提到七夕,人們即會聯想是牛郎織女見面的那一天。這個牛郎織女美好的傳說在日本也廣為人知。

與中國不一樣的是,日本自江戶時代在七夕這一天開始了一種特殊活動。就是把自己的願望寫在帶一根線的紙簽上,然後把寫好的這張紙簽系在竹枝上,這樣自己則會如願以償了。

這種做法只有日本存在,在別的國家是沒有的。可見日本人把他國文化不是照搬而是按照自己民族的習俗去吸收,並且將他國的文化融入自己民族生活之中。

在日本的仙台、平冢、一宮地方七夕這一天祭典活動很轟動,還有相模原市、安城市、高崗市等多處都大規模的舉行七夕活動

東京地區雖然沒有什麼大的祭典活動,但是在七夕這一天到處都可以看到人們把寫著自己願望的紙簽,掉在竹枝上的情景。在田町車站,這一天竹枝把站內中心的大柱子裝飾,上面掛滿了港區各個幼兒園小朋友們寫的志願和希望。

稀奇古怪的願望

日本七夕節源於中國,經過多年的演變,如今已經成為日本夏季傳統的節日之一。七夕在日本原是朝廷貴族的祭祀活動,又稱乞巧奠。從江戶時代起,才成為一種民間慶祝活動。本來跟中國一樣,是舊歷的7月7日,後來在明治6年(1873年)改歷以後,只有很少地區沿用舊歷,大部分地區把七夕節變為新歷的7月7日;另外東日本和北海道,仙台等地是推遲一月,把8月7日(一說8月6日到8日三天)作為七夕節,這樣跟舊歷七夕大致相同。

今天世界各國都使用公歷,中國人不再過七夕,也和七夕是農歷,每年的節日日期計算不便有些關系。日本對此採取了非常現實的「一刀切」處理,乾脆改成了公歷七月七日(有些地方設為八月七日)。

說起來七夕定為農歷七月七日本來有科學的道理,因為農歷這一日月明星稀,銀河正在天頂,人們晚上眺望銀河,便可想像牛郎織女的相會了。變成公歷七月七日,則銀河在哪兒就不那麼好找,畢竟這些星星什麼時候到什麼地方是不跟著你的歷法走的。日本的七夕,下界頗為熱鬧,上面的牛郎織女,只怕對此還有些莫名其妙——喜鵲們還在路上,這就去天河相會,真正要望河興嘆了。

然而,日本的七夕的確熱鬧,這里的七夕,並不是給情人們的,而是孩子的節日。這個時候,大商店往往擺開兩棵象徵性的柳樹,並給孩子們免費提供彩色的紙條。孩子們將自己的願望在紙條上寫好,再折成鳥雀的形狀穿在柳枝上。穿的紙條多了,一串串遠遠望去,就真有點兒喜鵲搭橋的味道。

之所以有這樣的習俗,原因在於最初孩子們是利用這個節日向織女祈求一雙巧手。傳說中的織女心靈手巧,七夕的時候她夫妻相會,心情自然很好,這時候向她祈求,自然被允準的可能性很大。中國古代也有同樣的習俗,因此七夕又稱為七巧節或者乞巧節。然而,隨著時間的推移,日本的織女責任越來越大,已經不但要賜給孩子們巧手,而且要負責滿足他們的各種願望。

根據調查,小孩子寫在紙條上的願望五花八門。比如有個電視記者采訪的時候,就看到有個孩子的請求是「希望天王寺動物園的大象到我家來」。感動於孩子有一顆保護動物的美好心靈,記者采訪了這個小傢伙。結果問道為什麼有這個請求,孩子的回答令人啼笑皆非——「大象的屁股很大,如果坐在我的門口,爸爸就不能進我的房間來檢查學習進度了。」吃驚的記者接著問:「那要是你爸爸賴著不走等大象不小心的時候偷偷進來呢?」「那我就加上一句,讓大象看到我爸爸就放一個大屁……」

日本的七夕還有一個習慣,就是人們會到商店購買粘米做的小點心來吃。吃這個小點心是有講究的,一來是喜鵲搭的橋怕不結實,為了保障牛郎織女的交通安全,要弄些粘的東西來把橋沾得結實點兒;二來牛郎織女好久不見,難免有些情不自禁的情節,喜鵲們看在眼裡,不免亂說,為了避免影響安定團結,也要弄些粘的東西把廝鳥們的嘴巴粘起來。

由此可見,日本的七夕和中國一樣,都是來自於牛郎織女的傳說,日本古書《古今要覽稿》,《古事類苑》等中,對這一點都有記述,按照這些資料記載,七夕在日本盛於奈良時代,最初是宮廷節日,叫做「七日盆」,用於祈求婚姻美滿,儀式相當復雜,充分顯示了日本人慣於製造麻煩的特點,要求一天吃七頓飯,洗七次澡……

好在,傳到民間以後,七夕變成了孩子們的節日,也就沒有了這樣多的繁瑣。

七夕在日本

七夕原是從中國傳到日本的傳統節日。但是,迎接、慶祝七夕在日本非常隆重。在七夕到來之前和當天,人們總要為它舉辦一些活動以示慶祝、紀念。如選美活動、馬拉松、七夕舞會等等。這一天是人們訴說心願的日子,在日本有把自己的心願寫在彩紙上,或把它們掛在竹林上,或放入江河中,以此來祈求自己的願望得以實現的習慣。

街頭的節日氣氛

家庭也很重視七夕。家庭的七夕活動,一般都是在家附近的竹林或海邊進行。人們要買來彩紙和絲線,剪成各種各樣的形狀,讓孩子們把自己的心願寫在上面,綁上絲線。一切准備就緒,就帶著孩子們來到附近的竹林或海邊。孩子們虔誠地把彩紙掛在竹子上或投入大海,再閉眼合手祈禱一番,然後高高興興地回家。

在以後的日子裡,孩子們就只等待著自己願望的實現了。孩子們的願望都不難實現,他們無非是希望得到一件玩具,或一本書,或一件新衣服,所以,到適當時機,家長就會滿足他們,讓他們如願以償。因此,孩子們對七夕節特別鍾情,對這一天充滿著期待。對於七夕活動,大人們並非當真,只不過是為了讓孩子們的生活多一點色彩,有一些期待罷了。

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